“生きる”
“生きる”ということについて、みんなはどう思っているんだろう。 最近、よく人が死ぬと思う。それは自殺だったり、他殺だったり様々だけど、どれも自然な形じゃないと感じている。 だけど、今の人達はそれも普通になっているのかもしれない。 それはあってはならないと思う。生命の重さを、知らなさすぎなのだ。 昔と今は違う。 そんな言葉では片付けて欲しくない。 全ては親の責任もあると、私は思う。 もっと周りの大人達が、しっかりと子供達を叱ってやれればいい。 怒るのではなく、叱る。 これはとても難しい事だとは思う。分かるようにちゃんと話して聞かせていれば、子供だって理解する。 何が良くて、何がいけないのか…。 その判別が出来ないから、虐めても良い。それで死んじゃってもいい。殺されたっても構わないと、そう思ってしまう。 そう思った者が、大人になる事自体が問題なのだ。 正すなら、今しかないのかもしれない。 “虐め”はなくならない。この先もずっと。だけど、それに対して大人が、見て見ぬふりはしてはいけないと、私は感じる。 生命の大切さを、教える大人がいない。 だから簡単に“死”に急ごうとする。 自ら死んでも、また生まれ変わることはない。 もし、生まれ変わっても、同じ事の繰り返しだ。 魂はいつでも同じだから。 変わる事はないから。 現実離れした話になってるけど、子供はそう思ってる。死んでもまた生まれ変わると。 でも、魂は同じ。また同じ事の繰り返し。 また生まれ変わればいい…。 そんな考えを持つのなら、まず、自分を変えなきゃいけない。 そういう行動を取れば良い。 私がこんな事を言っても、説得力はない。 事実、私自身も虐めを苦に自殺を考えた者だから。 でも自殺しなかったのは、自分に勇気がないのと、そして、何か変えられるんじゃないかという少しの希望。 今の人はそう思えないのかもしれない。 希望がない時代。 夢がない時代。 もしかしたら、今の時代よりも物がない昔の時代の人達の方が、生命の大切さ、生きるという意味を深く知っていたのかもしれない。 今、この世界が崩壊したら、現代の人は生きてはいけないと思う。 ふと、そう思う時がある。 すぐに諦めてしまうところとか、人のせいにしたりとか…。そういうダメな部分がありすぎる。 それは日本人の悪いところかもしれない。 たぶん、一番先に滅亡するのは日本人かもしれない。 “生命”て、なんだろうね。どこからきてどこへゆく。 昔、考えたことがある。 虐めにあっていた時。本気で死んでしまおうと考えた時。このまま死んでも、誰も悲しまないんじゃないか。誰も泣いてはくれない。むしろ、喜ぶ人の方が多いのでは…。 じゃあ、何の為に産まれてきた? 何の為に生きてる…? と。 そしてその答えはまだ見つからない。 だけど、少し見えているのは、いい死に方をするには、懸命に生きることだ。 そう、私は考えている。 自分のペースでもいい。 ゆっくりでいいから、生きてみよう。 少しずつ、少しずつ。 生きてみよう。 この世には生きたくても生きられない人が、何人いると思う。 生あるうちを楽しまなきゃ、損だよ。 辛いことは沢山ある。 悲しいことも沢山ある。 それでも、それ以上に楽しいことも嬉しいこともあるはずだから、自分でその答えを見つけていこう。まだ急いで逝かなくても、時間はあるんだから。 その為に、自分がいい人間になれるように。 かっこいい大人になれるように。 成長していけばいい。 虐められた人間は虐めた人間よりも人の痛みが分かる筈だよ。 そう言われたことがある。 でも、今は虐められた人は虐めた経験があるんだよね。 だったら尚更。相手の立場になって考えてみよう。 自分が起した行動で、相手が傷つき“死”を選んでしまう。その罪悪感を感じたくないのなら、もう少し、一歩置いて考えよう。 これが自分だったら。 これが大切な人だったら。 そう考えてみよう。 虐めだけではない。 誰かを殺してしまうこと。 それも同じ。 殺したいという思い、それが新たな恨みや憎しみを生んでしまうんだから。 それはやっぱり辛いよ。 悲しいよ。 だから、生きることを考えようよ。 もう少し、考えてみようよ。 答えはまだまだ見つからないけど、考えて生きてみよう。難しいことだけど、考えて生きよう。 それが人間として生まれてきた私達の課題なんだから…。 2006.11.12(日) 星河琉嘩 |